
日本の近代化が、明治政府による「政策としての」西欧化であったことは否めない。国家の基盤となる法制度や教育、文化受容に至るまで、西欧の要素が日本の近代化に不可欠な要素として抗う余地なく導入された。この特殊な歴史的経緯が、その後の日本における文化受容史に重大な影響を与えたと言えるであろう。
明治以降こんにちに至るまで、我々が日常的に受容する文化的要素の多くが、その起点を西欧に置くことは明らかである。しかしながら、我々にとって、もはやこれらの文化的要素は決して「他者の」文化ではない。バッハやモーツアルト、ジャズやロックは我々自身が育まれてきた文化的環境であり、紛れもない「我々の文化」として位置付けられているのではないだろうか。
本講義では、西欧圏の音楽や文学、演劇等の舞台芸術や絵画等がどのように日本に受容され、いわゆる「教養」の規範(Canon)として定着していったのかを問題提起として、具体的なジャンルを挙げながら考察していく。