
トランスカルチャー論(transculturalism)とは何か。似たような概念として、多文化主義(multiculturalism)や間文化主義(interculturalism)がある。しかし、それらのいずれとも違う第三の可能性を指し示すものとして、本講義ではトランスカルチャーという考えに着目し、その射程と可能性を探る。
トランスカルチャー論は、多文化性の公的承認によって各文化コミュニティの維持と共存を目指すことにとどまらない。また、文化上のマジョリティとマイノリティの間のコミュニケーションと歩み寄りを保ちつつ、エスニック文化の多様性と共通文化の統合性との確保を中心のテーマとするわけでもない。
本講義が対象とするトランスカルチャー論がまずもって着目するのは、複数の文化を越境する個人とその主体的経験が有する意味である。異文化の存在を知り、未知なる他者と出会うことは、今日のグローバル化した世界では、各人において程度の差こそあれ、平凡な経験とすら呼べるものになりつつある。トランスカルチャーの経験はむしろ、複数の文化を外側から見聞するのではなく、それらを同時に内側から生き抜くことによって、個人が自らのアイデンティティを問い直さざるをえないような状況を生み出す。いわば、一つ以上の文化コミュニティに言語を通して深く根付くという経験を持つからこそ、それらのいずれへの帰属によっても自らが完全には定義されえないという意識を個人が抱くのである。この意味において、「文化横断」(transculturation)とは、「新しいコードを獲得しはするが、それにともなって以前のコードを失ったわけではない状態」(T.トドロフ)にほかならない。文化の共同体的側面を安易に捨象する平板なコスモポリタニズムでもなく、まばゆい文化的多様性への無条件的な礼賛でもないトランスカルチャーは、この世界における人間のあり方として、独自の領域と考察対象をなす。この文化横断が人間主体に対して持つ意味を、本講義は特に人文学の観点から探究する。