
古典といって思い出すものは何だろうか。政経や倫理の教科書で⾒た塑像と対になった『国家』や『⾃省録』、冠が印象的な『論語』や『史記』、『古事記』とはいわずとも『栄花物語』や『吾妻鏡』だろうか。『社会契約論』や『⾃助論』という⼈もあるだろう。
そうした「古典」には多くの注釈書があり、「早わかり」のようなサイトもある。なにより、普通に読んでも呑まれてしまうだろう。教員が壇上で雄弁に講じるに⾄っては空しさが溢れるばかりだろう。
よって、このクラスでは、誰もが読んでいそうで読んでいない、もしくは読んでいるフリをしている重要な歴史的な(ただし短い)⽂章を着実に読み、その含意を全員で考えていく。そこには解説書も「はやわかり」サイトもない。あるのは参加者の知的営為だけとなる。
題材は、開国から現在にいたる⽇本の近現代を左右した⽂書たちである。この国がいつ、何を考えてきたかを現代の視点から捉えなおすことで、「古典と現代」の新しい可能性を⾒いだしていきたい。